午後6時から検見川公民館2階講堂、その前にも軽く見学会と食事会が予定されている。
詳細は追って右のイベント欄で告知するとして、本日は発起人「久住コウ」氏にお願いしてケータイ投稿してもらった。
送信所との馴れ初めからのつれづれを以下に語っていただく。

昨年夏、ネットでその存在を初めて知り、実際に見て圧倒された。
検見川無線送信所。大正15年竣工。
昭和5年には日本初の国際放送を行った。
よく「独特のオーラがある」と評される。
正直言って、オーラをうまく説明できない。
実際、送信所を体験した人だけが感じられる特権と言っていいんじゃないか。

ある人は「かわいそうだと思った」と言う。優しい人なんだろう。
僕は逆にタフな建物だと思った。
閉局して約30年、なんのメンテナンスもなく、立ち続けている。建物を設計した人、建てた人、そこで働いた人の誇りを一身に受け、存在し続けているのだ、と思った。
建物の感じかたはそれぞれだから面白い。
シンプルな造りの建物は「2001年宇宙の旅」のモノリスのように、人々に何かを問いかける。

無人化された後、傷を負いながら30年も生き延びている。これは奇跡だ、と思った。
そこで思いついた。
廃墟を文化遺産にしよう。
途方のない話だが、実現すれば、痛快な話じゃないか。
建築家でも通信の専門家でもない僕一人が騒いだってどうにもならないが、みんながそう思えば…。

このブログの花園シン氏とも面識はなかった。花園氏は「市民活動、ボランティア活動には嫌気が差してる」と言った。
しかし、数日後、放送史の専門家、仲佐秀雄氏を紹介され、たった3人の「検見川送信所を知る会」が結成された。
仲佐氏のツテで送信所OBとのコネクションもでき、僕はサイト「分離派建築博物館」のきくち氏に会いに行く。
そして、第1回イベントの骨格が見えた。
まずは送信所の価値を知ってもらえれば、何かが変わるはずだ。イベントは事前事後、いくつかの新聞にも報じられた。当日は台風が直撃。それでも、50人近い人が集まり、送信所の価値を共有できた。
手前味噌だが、奇跡のようなイベントだったと思う。立場も違い、面識も違う人々がただただ送信所のことが気になって集まったのだ。
これは送信所のなせる力だろう。
その後も、じわり広がっている。
そういうわけで、第二回イベントも面白くなる。
きくち氏は竣工当時の姿をCGで再現した。
建築史の倉方俊輔氏は講演を買って出てくれる。
地元町内会も乗り気だ。市議に留まらず、国会議員も注目している。
シンポジウムでは、いろんな意見も出てくるだろう。
久住コウさんのブログ「検見川レイディオ」はこちら
「検見川送信所を知る会」HPはこちら
「検見川送信所J1AA」メールマガジンはこちら
「検見川送信所動画集」はこちら
「問い合わせメールフォーム」はこちら
(久住コウさんは当サイトで検見川送信所の小説も連載中→左欄)
























