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検見川伝統行事「裸詣り」に参加しよう!2008
上半身裸で腹には晒し、頭にはハチマキ、下はパッチ(昔はフンドシ)と足袋という出で立ちだ。

除夜の鐘を合図に「ロッコンショウジョウ サンゲーサンゲー(六根清浄懺悔懺悔)」というかけ声で、階段を上り始める。
六根とは、煩悩の6根元「眼、耳、舌、身、意、息」のこと。
これは「1年間の罪悪を悔い、改心を誓う」という意味で、身も心もリフレッシュして新年に臨むための検見川伝統神事なのだ。
その後、検見川神社から各地区の神社、尾鷲、三峯を経て浅間神社まで、石を入れたドラム缶を鳴らしながら廻る習わしだ。
道中のかけ声「イイナンマーハイダー ハンボー」「ホラヤー ホラヤー」は、「神聖なる神の蔵人(雑事をこなす人)として、おお、肝魂入れて、響残らず仕えまつらせむ」「天子警(てんのうけいら)」の意味。

各神社では「おかがり」(篝火)が焚かれ、御神酒や甘酒が振る舞われ、男たちは都度、そこで暖をとる。
検見川神社に戻るのは午前2時半頃。篝火は朝まで村人(町内会有志)が守り続ける。
起源は元禄年間(江戸時代)。大正時代では、本町の千葉神社まで詣でたし、昭和初期の全盛期には町内ごとの群れが200人を超え、時にはわらじが売り切れ、手に入らなかった事もあるほどだったと言う。(現在はわらじが手に入らないので、足袋のまま)
「裸詣り」の写真提供は小高屋商会のタコさん

検見川3丁目の藤代定雄さんは、60年経った今でも当時の記憶が鮮やかに甦るのだと語る。
昭和10~20年当時、検見川の街には20近い裸詣りのグループがあり、1グループは7~12人。準備はおよそ1ヶ月前から始まった。
当時小学生だった藤代さんは、学校から帰ると毎日のように尾鷲山に行き、暖を取るための薪集めをし、お詣りするお宮の数だけふな入れ(1銭銅貨のおひねり)を作ったり、弓張提灯、ろうそく、わらじ、晒しなど揃えた。
当日はフンドシ一本だが、寒いと言うより楽しい感覚が先に立ち、いてもたってもいられない心がはやる。

道中は「イナンマ、ハイダーハンボー」と声を揃えて歩き、浅間神社のお詣りを済ませ帰路に就くのは午前3時頃。
往きは土地神様とシンクロしたような高揚感で寒さは感じないが、帰りはさすがに寒いから、小さい子どもに提灯を持たせる。
提灯を持っていると少しは暖かいような感じがするからだ。
それでも充実感いっぱいで、楽しくて楽しくて、とても興奮している。そのせいか裸詣りで風邪引いた話は聞かない。

藤代さんは、検見川公民館や、時には梅の湯で、検見川の歴史講座を持つ「検見川の語り部」だ。
その語り口は面白くて親しみ深く、いつもすぐ満員になってしまい、「朝日マイタウン」や「VIVA FREAK 千葉」などでも紹介されている。
*写真はクリックで拡大表示されます。
さて、この検見川伝統神事・裸詣り。
なんと! 今年はあなたも参加することができます!
■集合日時:平成19年12月31日(月)23:00
■集合場所:検見川消防団小屋(ここで着替えます)
■用意するもの:パッチ、さらしの腹巻き、白足袋、白軍手、はちまき
■問合わせ:043-273-3828 鈴木「検見川神社宮本神輿愛好会」事務局
2007年の罪汚れを洗い流し、身も心もキレイな2008年の男になろう!
集合場所の検見川消防団小屋↓は、検見川メインストリートにある。

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[町角ウォッチング]検見川の裸参り
元旦の午前零時を期して始まる検見川の裸参り。20人ほどの裸の男衆が夜を徹して、検見川神社からいくつかの小さな神社にお参りしながら稲毛浅間神社まで練り歩くという。この奇習の由来などについては、リンク先花園シンさんの「新検見川地域情報」に詳しい。 http://gogosh