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花見川今昔(2)

前回1月1日のつづきです
前回は、1843年(天保14)のお手伝普請・印旛沼開削で庄内藩が最大難所を宛てがわれるに至った三方領地替えのエピソードまででした。
この開削で1番の難所は、固い土の高台を30mも掘り下げなければならなかった横戸~柏井間と、水草の堆積層・化燈(ケト)土で土はドロドロ、地下水があちこちから湧出して、掘るにもすくうにも運ぶにも扱いにくい柏井~花島間です。前者を庄内藩、後者を鳥取藩に割り当てられました。
現在の平戸~横戸↓グーグルアース(画像はクリックで拡大します)
花見川開削
現在の横戸~かつての海岸↓
花見川開削

庄内藩に割り当てられた高台(柏井ー横戸)とは、現在、鷹の台カントリークラブや柏井高校があるあたりで、対岸の横戸緑地の丘は、掘削した土を盛ってできたものです。
鳥取藩のドロドロ化燈土エリアは柏井から花島観音のあたりまでです。(化燈土は肥料や燃料にもなるそうです)→印旛沼落掘難工事現場の地理地質的特徴

当時「横戸~柏井」間は高台で花見川と新川が繋がっていなかったのが分かる↓
花見川開削
花島村付近の崩れやすい土壌は水の流れを変えてから川中を拡張する「廻し堀」↓
花見川開削

このお手伝普請、ほとんどの藩が人夫を現地調達で対応したのに対し、庄内藩は人夫として多くの農民を国元から呼び寄せました。
庄内(山形)から大和田までは徒歩で12泊13日。
村役人、大工、鍛冶、医師、賄い等、毎回200人くらいずつ、総勢1463人が現地に赴いたのです。(更に現地で2500人雇う)
みんな、魚などおいしいものが食べられるだろうと結構期待して来たようですが、着いてみれば食事は粗末、普請小屋は隙間だらけの粗悪な代物で、雨が降れば小屋内で傘をさし、風が吹けば砂埃、ゲジゲジ、トカゲ、アリはウヨウヨ、ムシロで雑魚寝。こんな環境での重労働だから病人続出しました。
(9/21までで230人)

隊列を組んだ庄内人夫は、法螺貝や太鼓の合図で作業開始↓
花見川開削

1843年7月23日工事開始から9月23日工事中止まで、(翌年1月に病死した竹内八郎右衛門46才含め)たった2ヶ月で人夫19人+家臣5人が病死しています。
多くは50~60才代の当時としては「高齢者」で、長旅や過酷な労働に耐えられなかったのでしょう。
9月3日、松右衛門病死、火葬
9月24日、仁兵衛病死 本人の希望で土葬
などの記録が残っており、異境に埋葬された彼らの墓は花見川沿いにあるあちこちの墓地で見つけることができます。
(地元民の自家墓に埋葬された者もあり、交流がうかがえる)

当初の見積もりは全体で13万両程度だったのに・・
記号工事区間掘割間数費用担当
沼~A平戸~横戸
4,416間半
8.04km
65,144両沼津
A~B横戸~柏井
1,128間半
2.05km
117,050両庄内
B~C柏井~花島
634間半
1.15km
61,500両鳥取
C~D花島~畑
2,234間半
4.07km
40,000両貝淵
D~海畑~海辺
1,206間
2.19km
10,000両秋月
記号A=弁天宮付近 B=柏井橋より少し下あたり C=花島橋より少し下あたり D=千本桜付近
は普請小屋があった場所↓
花見川開削
仮に1両を65,000円として、庄内藩の事業費は76億、1番少ない秋月藩で6億5000万円)

庄内藩の普請小屋は現在の鷹の台カントリークラブの所にありました。現地で雇った人夫を含めると4000人近い人々が生活したその界隈は簡易的とは言え種々の店も建ち並び、ちょっとした村のようでした。
毎月28日、庄内藩は幕府からは禁じられた酒を「沢庵漬」と称して庄内人夫たちに支給しました。「こちらの食べ物は国と比べてヒドいものだが、沢庵漬けだけは美味」と書かれた記録も残っています。
これまた嫌われ者の水野忠邦↓
花見川開削  水野忠邦
そうこうする9月13日、老中・水野が御役御免=失脚で、庄内藩普請小屋では大喜び。
庄内藩の工事監督官である中老・竹内八郎右衛門は日記に「誠に天下の大幸、恐悦至極、はなはだしく雀躍、最早尾羽も延候世の中にまかりなり」と書き記されています。
15日には12軒ある人夫小屋に「火の用心の水樽」と称した72リットル(4斗)酒樽を5個ずつ配り皆で祝ったらしい。
9月23日には、工事中止命令で5藩の任が解かれます。(翌年6月10日まで工事は幕府の直轄事業として続けられ、花見川通船はなんとか実現)
庄内藩人夫の延べ人数は35万4443人でした。5藩の合計だと約100万人にのぼるとみられます。
花見川開削

庄内藩家臣らの日記をもとに、工事に関わった人びとの人間模様、町奉行鳥居耀蔵の実像などを生き生きと描き出す↓
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八千代市立郷土博物館
第2回企画展 『江戸時代の印旛沼堀割普請 ~源右衛門のねがい・幕府のねらい・村人の現実~』2009年12月5日(土)~2010年2月21日(日)

その他、花見川が舞台になった小説に
稲見一良の「花見川の要塞」「花見川のハック」などがあります。
遺作集 花見川のハック (角川文庫)遺作集 花見川のハック (角川文庫)
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さて、今回の花見川今昔は花園公民館「地元学」チームによるコーディネートです。
幕張から発した「地元学」チームは。講師を呼ぶのではなく、チームの1人1人が自ら研究した得意分野をシェアし、みんなで知識や情報を共有、それを自分たちの目で足で検証、補足し、さらにまたそれを地元に還元して、より広く楽しく地元を学ぶ輪を拡げようという人たちの集まりで、花園公民館館長の海保氏も幕張区民館時代から力を入れ、サポートしている企画+チームです。
海保館長の密かな夢は、
花園中そこかしこ、夏の庭々に古代蓮花が咲き乱れる、そんな花園の町を歩くこと。
なるほど、これでこそ「古代蓮の町」と言う感じです。シンも古代蓮を育ててみたい。
「庭で古代蓮を育てよう」なんてプロジェクトがあったら、参加したい人は結構いそうな気がするのですが。。

地元を知り、学び、それを自分なりに伝えていくことに関心のある方の参加をお待ちしています。

地元学に関する問合せは
花園公民館:043-273-8842
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花見川今昔(1)

2010年、あけましておめでとうございます。21世紀明けてもう10年とは、まさに光陰矢のごとしです。
今年も皆様にとって実り多き年となりますように。

さて今日は花見川区の象徴でもある花見川の話です。
もともとこの川は、現・柏井高校~鷹の台カントリークラブあたりの高台を水源として検見川から江戸湾(東京湾)に注ぐ小川で、「けみ川」「気見川」「華見川」「検見川」などと表記されてきました。(水源は弁天橋下流50mにあったとされる弁天池だったとする説も)
花見川

現在は大和田排水機場を境に、印旛沼側を「新川」、東京湾側を「花見川」と呼び、合わせて「印旛放水路」と言います。
1969年(昭和44)に全長19kmの印旛放水路として完成するまでには紆余曲折の長~い歴史がありました。
1594年(文禄3)、当時は江戸湾に注いでいた利根川を、太平洋に注いでいた鬼怒川と繋ぐ大規模工事「利根川東遷(とうせん)」が徳川家康の命で行われ、これは60年かけて1654年(承応3)に完成。目的は、江戸の水害防災、新田開発、水運(舟運)ルートの整備でした。

5000年前↓(各画像はクリックで拡大します)
利根川

1000年前↓
利根川

東遷完成時 1654年↓花見川はまだ印旛沼と繋がっていません
利根川

ところがこの東遷後、印旛沼は利根川上流で豪雨があるたび逆流した水で氾濫し、深刻な洪水被害をもたらす暴れ沼になってしまった。現代だったら「住民訴訟」ものですね。
この印旛沼が洪水から解放されるのは、利根川東遷から実に315年も経た1969年(昭和44)ですが、その間何度も着手された開削工事は苦難に満ちたもので全て失敗に終わっています。
主な工事は
  1. 1724年(享保9年)、平戸村(現八千代市平戸)の名主・染谷源右衛門が私財を投じ(2%は幕府が融資)、平戸川と華(検)見川間の開削(かいさく)工事を開始するも、想定外の難工事で資金尽き破産し、挫折。
  2. 1785年(天明5)、田沼意次が新川開削工事に着手するも、翌年には失脚し進捗2/3で頓挫。
  3. 1843年(天保14)、アヘン戦争で清国がイギリスの占領下となり、幕府に対し各国から開国への圧力が強まるなか、「外国船によるもしもの江戸湾封鎖時」危機対策として江戸湾~太平洋最短ルート確保のため、水野忠邦が5藩に印旛沼開削『お手伝普請』を命じるが、これも失脚により工事は2ヶ月余りで中止となった。(90%完成で、なんとか繋がるだけは繋がった)
  4. 1946(昭和21)戦後の食糧難、引揚者失業対策として印旛沼・手賀沼開拓は国営事業になる。~1969年(昭和44)完成。

さて、この3番目にある「お手伝普請」とは、幕府が藩に自費でやらせた公共工事ですが、目障りな藩や失点があった藩に対する「いやがらせ」や「いぢめ」、大名の力を削ぐための要素も多分にあったようです。
老中・水野忠邦(1794~1851)によって花見川開削を命じられた5藩とは、沼津庄内鳥取貝淵秋月でしたが、庄内藩には独特のドラマがありました。(幕府の工事総監督官は、あの「江戸の嫌われ者」鳥居忠耀

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さて、庄内藩お手伝普請の伏線としてあるのは、
Wikipedia「義民が駆ける」より引用↓
江戸時代後期、1840年(天保11)11月、財政難に苦しむ川越藩藩主松平斉典は、実子がいるにもかかわらず徳川家斉の21男 斉省を養子に迎えて将軍家とのコネをつくり、幕府首脳に多額の賄賂をばら撒き、川越よりもはるかに経済の内容がいい荘内への国替えを画策したことからこの物語はスタートする。
引用ここまで↑
幕府から突如三方領地替え(国替=荘内→長岡、長岡→川越、川越→荘内)を命じられた荘内藩でしたが、日頃から民意にそった善政(*)によって領民との信頼関係を築いてきたため、「酒井様が庄内からいなくなるなんてありえねー!」と農民らが立ち上がり、「百姓といえども二君に仕えず」の旗を掲げて江戸に上り、諸大名や幕府役人に直訴、半年以上に渡り必死に国替え命令撤回の嘆願活動を続け、とうとう前代未聞の白紙撤回を勝ち取ったのです。
これはまさに「元祖・日本の市民運動、奇跡の勝利」といったところでしょう。

庄内の三方領地替を描いた小説↓
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(*)庄内藩主・酒井忠徳によって藩財政立て直し役に大抜擢された本間光丘(1732~1801)は、天才的財務能力を持つセレブな民間人(豪農・商人)。私財を投げ打って藩内の財政改革を次々開始。藩士や農民たちが苦しんでいた高利の借金を低利の融資で整理させ窮状を救ったり、凶作の際、領民達に支給できるよう、領内に備蓄米(備荒籾)を蓄えるなどリスク管理も行った。当時としては珍しい(現在でも珍しい)有能なトップが替わってしまうのは、領民にとっても死活問題だったわけです。(失脚時には暴徒化した江戸市民に邸を襲撃された水野忠邦と信頼と尊敬を集めた本間光丘は極めて対照的)
本間光丘↓
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こうして三方領地替えはめでたくご破算になったものの、顔を潰されて面白くない水野の意趣返しもあったでしょう、1843年(天保14)のお手伝普請・印旛沼開削で庄内藩は最もキツイ難所を受け持たされてしまいます。

長くなるので1月10日につづく 私たちの町のこと、もっとみんなで話そう、考えよう!
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