その辺りから右側が小山みたいな高台になっていて、以前、ここには和洋女子大の寮があった。
今はもうなくて更地で、門のみだが。

「シンさん、ここで何やら発掘作業してるよ! 行ってごらん」初寿司の若旦那からそんなお知らせいただいたのは先週のこと。
早速行ってみた。

あいにく、作業の人が見当たらなかったので、どの時代の何を発掘してるのかなどは分からなかったが、ここには昔「大久保城」なる謎の城があったんだそうな。
この小山のあたり一帯は、古墳時代から奈良時代、近世に至る複合遺跡である。

かつて2カ所の古墳が確認された小山の西端、今は近所の人たちが畑など作っており気持ち良さげな場所になっているが、ここは既に売り出され、畑でいられるのはあと1年くらい。看板には今年6月末までに撤去と書いてあるが「ま、すぐには建たないから来年くらいまでいいよ」と了解貰っているのだそうだ。


現在はほとんど住宅地だがここから北側には古墳から奈良平安時代の住居跡57軒など色々発掘されているようだ。
ここいら一帯、東大グラウンド(中谷遺跡、鶴牧遺跡、落合遺跡=大賀ハス発掘地点)や東大農学部付属植物実験所(殿山遺跡)も遺跡だ。
浪花橋の上からこの小山を見ると、対岸(幕張側)にもぽこっと小さな丘が見える。
この地図を見るとよくわかるが、これらはもともと1つの小山であり、花見川はこの小山の西側を回って流れていた。
昭和5年頃↓

それを昭和の30年代の花見川工事で、小山をバッサリ切り分け、川を真っすぐにしたのだ。この時、発掘調査などしなかったので、大久保城のことは分からないままになってしまった。
昭和40年↓川が真っすぐになってるのが分かるかな?

大久保城はちょうど現在花見川が通ってるあたりにあったと思われ、幕張側の小山は物見やぐらの跡であるそうだ。
ところで話は変わるが、新倹見川駅北口のサンドイッチショップ・ポパイが休業してからもう数週間になる。
先日通りかかったら、「休業のお知らせ」の張り紙に、たくさんの寄せ書きが集まっていた。

残念がってる人多数。早く戻ってきておくれ。
(7月1日より再開)
園生貝塚研究会による地域研究「小中台川流域における縄文時代後期社会の研究」の一環として1994年3月10日から同年4月7日にかけて行った「東ノ上(西)貝塚」の発掘調査報告。↓
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